臺北市文獻委員會提供

 

映画と都市の発展 東西線の反転 1963~1994

1961年、中華商場「忠孝仁愛信義和平」8棟が完成しました。点心(お菓子類)、レストラン、切手とコイン、骨董、音響、贈答品などを扱う店が軒を連ね、西門町発展の黄金時代が始まりました。当時は、「台北に行かなければ台湾の繁栄はわからない。西門町に行かなければ台北のにぎわいがわからない。」と言われました。

 

映画の人気が高まるにつれて話劇はすたれ、1963年、「紅楼劇場」はまた「紅楼戯院」に名称が変更されました。民国40年代(1950年代頃)生まれの思い出は、学生時代に紅楼で西洋映画を見て、西洋文化を吸収したことです。しかし、民国50年代(1960年代頃)生まれの記憶にある紅楼は、落ちぶれ果て傾きかけた小さな映画館でしかありません。歴史は移り変わり、新興の台北東部が日増しに繁栄していったのです。うんざりする交通渋滞に不衛生な環境、青少年が引き起こすやっかい事も多い西門町は、没落の暗黒時代へと向かいました。 1992年10月20日、中華商場が取り壊され、続いて鉄道を地下鉄にする工事が始まりました。西門町の再建とかつての栄華が再現されることを期待して、

 

MRTの建造と台北市政府による「東西軸線反転」を目指す都市発展政策が進められました。

 

 


 

 

1958年的萬國戲院。
臺北市文獻委員會提供

 

二次大戰後的西潮風向球

百年來西門紅樓百變金鋼般的曾是市場、百貨店、是劇場、是電影院,變來變去,其實西門紅樓正似風向球,揭露文化風潮。

 

這個文化風潮,西門町的劇院呈現的也十分具象,如早期戲院多是演出日本戲劇,有電影也有舞台劇、歌舞劇,顯示的是台灣接受日本文化影響。而西門紅樓改為戲院之後,先後放映的是黑白武俠、二輪西片、古裝國片,其中二輪西片更是四年級生津津樂道的,票價便宜外,不外乎提到是在這兒接收西方思潮,所謂西方思潮,不如說是美國文化,甚或是好萊塢文化。

 

在作家朱天心的「古都」文中,那個年代,青澀學子的記憶,有些地方像「租界區」,租界區中有美國大兵來來往往的樂馬飯店、賣美式食品的福利麵包、臺北市的美而廉餐廳、美琪飯店、夢咖啡,還有飛虎遺霜陳香梅的CAT、圓桌…等,都是「來來來,來台大;去去去,去美國」的青年「時代夢」。

 

就算沒到過「租界區」的孩子們,總有聽聞美軍俱樂部、美援麵粉袋、好萊坞大製作電影…。那是個二次大戰才結束,主戰場歐洲在復原,美國文化因戰勝國而榮耀的時代。於是一波波畢業學子經過松山機場飛到美國留學,留在台灣的則聽聞「野人咖啡」撥放Bob Dylan, Jefferson Airplane, Mississippi John Hurt, Big Brother and the Holding Company, Joan Baez, Frank Zappa, Grateful Dead, Miles Davis,遙遙學起嬉皮風。

 


以描述二次大戰時期故事為主的電影本事。
莊永明提供